空中庭園を土曜、日曜と見逃したんだけれど「ボクの女に手を出すな」を見た。映画女優としてのキョンキョンこと小泉今日子っていう切り口で、空中庭園を見たら面白いんじゃないかと思ったから。空中庭園が一連の事件で提示した映画はだれのものかという問いに対する答え、縮小公開は、つまり監督だけのものではないということだったんだろう。それは裏返せば、映画の本意は監督の中にだけあるのではなく、ある程度自由にスクリーンの中で振舞っている人間の中にあって然りということにつながっていて欲しい。映画の本意をはずさなければ、監督について語ろうが、キョンキョンについて語ろうが、同じ作品自体にたどり着き同じことが言えると。全体を捉えようとして落とすより、ある程度落とすことを覚悟して、キョンキョンへの愛をどうにかするべきだと思う。と言うことを確かめるためにも、空中庭園を見に行きたいんだが、今週末は無理なので、見れるのかなぁ・・・。